修学院離宮 雪 2023年 冬

 

 

比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮
後水尾上皇により造営された山荘です。


宮内庁管轄の仙洞御所・修学院離宮桂離宮は、
以前は参観するのに事前予約が必要でしたが、
今は当日申込みの枠もあります。
ただ、定員枠があるので紅葉シーズンとかは
早朝から並ばなければ無理だと思います。

離宮内は自由行動はできなくて、先頭のガイドさんについて進みます。
建物の所では止まって説明等があります。
全工程は約3km、所要時間は約1時間20分となってます。
ゆるやかな上りも少しあります。

 

 

 

 

 

 

修学院離宮は1655年~1656年にかけて造営工事が起こされ、完成は1659年。

後水尾上皇の構想で、山裾を利用した上と下の二つからなる御茶屋として建設されます。
庭の木一本に至るまでご自身で決めたとされます。


現在は上(かみ)・中(なか)・下(しも)の三つの離宮(御茶屋)で構成されますが、
離宮に関しては、上皇の皇女・光子内親王の山荘を前身とする林丘寺が
明治18年編入されて中離宮として整備されました。

石段の上に見えるのが下茶屋です。

 

 

 

 

「寿月観」の扁額は後水尾上皇の宸筆。

建物は文政年間(1818~1830年)に旧規のとおりに再興されたものになります。

 

 

 

 

 

 

御茶屋では、上御茶屋へ向かう前のおもてなしが行われていたとされます。

 

 

 

 

 

 

庭園の池は凍っていました。

 

 

 

 

 

 

次は中離宮へ向かいます。

この農地は宮内庁から委託された地元農家の方が耕作を続けています。

 

 

 

 

 

 

反対側の高い所に見えるのが、あとで行く上離宮です。

 

 

 

 

 

離宮前の門。

桂離宮の門とよく似た竹の門。

 

 

 

 

 

 

離宮客殿の「霞棚」と呼ばれる雅な違棚。

桂離宮の桂棚・三宝院の醍醐棚とともに日本三名棚となっています。

 

 

 

 

 

 

杉戸に描かれている祇園祭の山鉾は、放下鉾と岩戸山。
狩野敦信(1639~1718年)筆。

 

 

 

 

 

 

こちらの作者不詳の鯉の絵は、
毎晩絵から抜け出して池で泳いでいるとのことで、
円山応挙 (1733-1795年)」が網を描き足したと。

 

 

 

 

 

 

 

離宮客殿前の庭。

 

 

 

 

 

 

来た道を引き返してきて、
次はあちらの松並木を通り上離宮へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

「御馬車道」と呼ばれるこの松並木の道は、
明治天皇行幸の際に馬車が通れるよう拡幅整備され赤松が植栽されました。
もとはあぜ道でした。

 

 

 

 

 

 

上ってきて、
御茶屋「隣雲亭」の前から見下ろす風景。
下からは見えないのですが、このような池が中腹にあります。

まだ少し写真があるので次回へ。


修学院離宮 雪 2023年 冬 (完)
それではまた。。。