
東山丸太町 熊野神社の茅の輪。先月末です。

真如堂へ。

初夏の青もみじ。


本堂前の菩提樹に実がなってました。
数珠の菩提樹はこの実ではなくて、日本の菩提樹とは全く違う品種の実です。
6月末で紫陽花はもう終わってるだろうな、と思いつつ紫陽花園の方へ行ってみると、

まだ結構見頃でした。
あとは紫陽花の写真を。








真如堂の紫陽花 2026年 初夏
それではまた。。。

東山丸太町 熊野神社の茅の輪。先月末です。

真如堂へ。

初夏の青もみじ。


本堂前の菩提樹に実がなってました。
数珠の菩提樹はこの実ではなくて、日本の菩提樹とは全く違う品種の実です。
6月末で紫陽花はもう終わってるだろうな、と思いつつ紫陽花園の方へ行ってみると、

まだ結構見頃でした。
あとは紫陽花の写真を。








真如堂の紫陽花 2026年 初夏
それではまた。。。

浄瑠璃寺からさらにもうひと踏ん張り上ってきて岩船寺。

アジサイ寺として知られる岩船寺。
こちらも浄瑠璃寺と同じく、奈良時代に聖武天皇が「行基(ぎょうぎ)」に命じて建立したのが始まりと伝わります。
行基は奈良の大仏建立の責任者も務めた僧。大仏完成の3年前に亡くなっておられます。
平安時代に入り、弘法大師とその甥の智泉大徳が伽藍を整えます。

現在の三重塔は1442年に建てられたもの。
もとは智泉大徳が亡くなった時に、仁明天皇が遺徳を偲んで宝塔を建てたと伝わります。

鎌倉から江戸時代末期まで南都興福寺一条院の末寺でしたが、明治14年に真言律宗西大寺の末寺になっています。

正面は不動明王立像が祀られている石室です。



本堂と三重塔の間にある池は「阿字池」。

本堂は昭和62年に再建されています。
高さ3メートルあるケヤキ一本造りの大きな阿弥陀如来坐像が安置されています。
本堂がそれほど大きくないから、すごく存在感があります。
行基作とも伝わりますが、定かではありません。

この日は天気が良くてずっとピーカン状態の中で長く居たけど、帰ろうとした時に少しの間曇ってくれました。
雲ってる間に急いで再度ぐるっと周って撮った写真ばかり載せてます。長い時間撮ってたピーカンのは全部ボツ。
やっぱり曇ってくれると花がきれいです。

今流行りの花手水もあります。

数年前だとここから帰りは和束を抜けるルートで帰ってたけど、もう無理はしないようにして木津川自転車道で真っすぐ帰りました。

紫陽花寺 岩船寺 2026年 初夏
それではまた。。。

加茂町の当尾の里へ来ました。京都と奈良の府県境に位置します。
浄瑠璃寺口のここから浄瑠璃寺までは5.1km、岩船寺までだと7.5km のヒルクライムです。

田植えを終えた当尾の田んぼ。
当尾(とうの)地区は古くは南都仏教の影響を色濃く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び念仏に専心したと伝えられています。
やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。
その名残りの石仏があちこちに残っていて、石仏巡りでハイキングに来る人も多いです。

紫陽花寺の岩船寺へ行く前に浄瑠璃寺へ寄ります。

参道にあるお食事処・あ志び乃さんの前で咲く紫陽花。

浄瑠璃寺山門。

お出迎えの紫陽花。

浄瑠璃寺は、奈良時代に聖武天皇が高僧「行基(ぎょうぎ)」に命じて建立したと伝わります。
しかしこれは寺伝であって、平安時代1047年に義明上人が薬師如来を本尊として安置したのが始まりだといわれています。
真言律宗のお寺です。

平安時代1107年の建立の本堂は国宝指定。
本堂の中は九体の阿弥陀如来坐像が横一列に祀られていて、それらも国宝指定。
それぞれの阿弥陀仏の前に扉があります。
人は生前の行いなどによって九段階の格付があるそうで、それによって阿弥陀仏の迎え方も九通りあると。
どの段階で現世を終えた人も極楽浄土へ往生できるように願い、九体仏が一堂に祀られています。

梵字の「阿」の字をかたどった阿字池の中島には弁天さまの祠があります。

本堂の前から見て。
池の向こうに三重塔が見えます。あの三重塔も国宝指定です。
三重塔には「薬師如来像」が安置されています。
あちら薬師如来のおられる池の東側が現世の「此岸(しがん)」、
こちら阿弥陀如来のおられる池の西側が来世の「彼岸(ひがん)」とされます。

東は太陽が昇る方向、東方浄瑠璃界。過去から現世です。
現世の苦しみを救済し、西の極楽浄土へ送り出してくれるのが薬師仏。

池泉回遊式になってます。回っていきます。

東側の三重塔まできて。
三重塔は、平安時代後期1178年に京都一条大宮から移築されています。
創建時の浄瑠璃寺は薬師如来像を本堂に祀っていましたが、後に新たな本堂を建立し阿弥陀如来を安置します。そして薬師如来像をこの東に移しています。
「浄瑠璃寺」の名は、当初の本尊 薬師如来の「東方浄瑠璃世界」からきています。

三重塔の前から見る本堂。
宇治の平等院と同じで、本堂に入って阿弥陀仏を拝むのではなく、こちらから拝むのが本来の姿。
此岸から彼岸の阿弥陀仏に来迎を願って礼拝する。
本堂が厨子の役割となります。

娑婆から煩悩の河を越えて、浄土の対岸をめざす。
太陽の道筋と同じです。送る側と、受ける側。
春分・秋分、彼岸の中日は九体阿弥陀仏の中心へ太陽が沈みます。

次は岩船寺へ向かいます。もう少し上らなければなりません。
浄瑠璃寺 2026年 初夏
それではまた。。。

先週末のダブル台風前です。空梅雨で干上がる木津川。
まぁ、これは西側で左の東側では水が流れています。
向こうに見えるのは「流れ橋」です。

正式名は「上津屋橋(こうずやばし)」。
全長 356.5m、幅員 3.3m。
大雨や台風により、川の水位が上がれば橋けたが流れるという構造をもつことから、「木津川の流れ橋」と呼ばれます。
流されると言っても橋桁と橋脚をワイヤーロープで繋いでいるので、どこかに行ってしまうことはありません。

頑丈な橋を造るよりも、流される構造の方が安くつく流れ橋。
しかし、昨今の異常気象の影響で流されることが多くなりました。
むかしは3~4年に一度のペースで流れていたのが、2011年からは4年連続で流されました。
復旧には3000万~5000万円かかるため、さすがに4年続けて流されると橋の廃止を検討されました。
しかし存続を願う声が全国から寄せられ、2016年に「流れにくい」流れ橋に構造が変更され復旧。
それでも数年ごとに流されてはいます

奥の方、少し見えてるように川は流れています。
上流の方からずっと砂地だから増水する時は一気です。

「流れにくい橋」に構造変更されてからは、コンクリート製の橋脚が増えて見たかんじが近代化っぽくなったので、以前のように時代劇のロケとかにはもう使われていないと思います。
というか、時代劇ドラマがなくなりましたね。
再放送の「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」シリーズではよく映ってます。

木津川河川敷に広がる「浜茶」の覆下茶園と流れ橋。
流れ橋と周辺の茶園は京都府景観資産に登録され、さらに「日本茶800年の歴史散歩~京都・山城」の名称で文化庁の日本遺産に認定されています。
それでも、向こうの高層建造物が増えて景観が壊れていくのは仕方ないのか。
流れ橋が流れるくらい氾濫した時は、この茶畑は水没します。
しかし、木津川の氾濫などによりもたらされた肥沃な沖積砂質土壌が、この木津川沿いを茶業の好適地としていると。
水辺の砂地で作られるお茶は「浜茶」と呼ばれ、抹茶の原料となる「てん茶」を栽培されています。

これは2013年に流れた時に撮った写真。大河になってます。
橋がどこにあったか分からないし、茶畑も水没しています。
まさに暴れ川。

この日は木津加茂町の「紫陽花寺の岩船寺』へ向かいました。
木津川自転車道を走ります。

川沿いロードをひたすら南下してきて、木津の泉大橋に到着。
空梅雨の八幡木津川と流れ橋 2026年 初夏
それではまた。。。

智積院を出て、隣りのお地蔵さんの前で咲いてた紫陽花。
この隣りはお花屋さんです。

法住寺の前を通ったらユッカの木が何本かあって花を咲かせてました。

咲いてはじめて気づく。

ユッカの中のキミガヨラン(君が代蘭)という品種だそうです。

境内の百度石の横では紫陽花が咲いてました。


鉢植えの蓮は少しだけ咲き始めてたのがありました。

法住寺で咲くユッカとか 2026年 初夏
それではまた。。。

東山七条 智積院の紫陽花園へ。
寺紋にもなってる桔梗の花がお出迎え。

ちょっと天気良すぎて紫陽花日和とはいえないけど。
コントラストきついです。
あとは写真だけで。










智積院の紫陽花 2026年 初夏
それではまた。。。

高瀬川沿いで咲く紫陽花。
五条より南の菊浜界隈です。




この辺りのランドマーク「サウナの梅湯」。

この界隈は「五条楽園」という遊廓があった地区です。
お茶屋の意匠を凝らした遊廓時代の木造の建物が今もいくつかあってその面影を残しています。

ここは旅館になっています。

洋風の建物も。

高瀬川は護岸改修工事を終えてきれいに整備されました。
他にもこの界隈はその町並みを生かした再開発がされて、新しいカフェや料理屋さんができてます。

あと、この界隈は京町家をリノベーションした民泊がたくさんあって、今は外国人観光客がたくさんいます。
たくさんと言っても観光地のような多さではなくて、静かだけど、道を歩いてたらすれ違うのがほとんど外国人みたいな。
居留地っぽいというか、ちょっとお洒落な町のようになってきてます。なんとく外国人が好きそうな街並みで、皆さん満足してそうな雰囲気は感じる。

この辺りは背の低いちょと変わったこの小さな紫陽花が植えられてました。




スマホ撮り。
任天堂の創業地にある旧本社ビル。
明治22年に創業した任天堂の本社ビルとして昭和5年に建てられ34年まで使われていました。
今はホテルに生まれ変わっています。
菊浜学区の再開発は任天堂の創業家が進めており、その手始めがこの旧本社ビルのホテル化でした。高瀬川の整備にも寄付されています。
菊浜界隈 高瀬川沿いの紫陽花とか 2026年 夏
それではまた。。。