御所の黒木の梅とか瑞泉寺の紅梅とか 2024年 春

 

 

京都御苑の堺町御門から入るとすぐにある「黒木の梅」。
遅咲きの紅梅です。

黒木の梅は、九条家跡(このすぐ西側)にあったものを大正天皇即位大礼の時に現在の場所に移植。その後枯れてしまい、現在の木は接木により植継ぎされたものです。

名の由来は、単に木が黒いからだそうです。

 

 

 

 

 

 

御苑内の宗像神社横のオガタマノキ(招霊木)。

オガタマノキは、一円玉の図柄にある「若木」のモデルと言われています。
実際のところ、「若木」はモデルがない架空の木だそうです。



 

 

 

 

オガタマノキの花が咲いてました。

天照大神が隠れた天岩戸の前で、天鈿女命はオガタマノキの枝を手にして舞ったとされます。
また、榊のように神前に供えられたりもすることから、一円玉のモデルといわれるようになったようです。

 

 

 

 

 

 

御苑内はここ数年で休憩所が新しくできたり、整備されたりしてあちこち綺麗になりました。

 

 

 

 

 

 

京都御苑情報館にある京都御苑模型。

 



 

 

 

同じく、京都御苑情報館にあるメディアウォール。

モニターに京都御苑内の写真を一覧で表示します。
写真をタッチすることで動植物の名称や見られる場所の情報を得ることができます。

 

 

 

 

 

 

場所変わって、木屋町三条 瑞泉寺で咲く遅咲きの紅梅。
豊臣秀吉の甥、豊臣秀次のお墓があるお寺です。
五七の桐は豊臣の家紋。

 

 

 

 

 

串状にもこもこと咲きます。


秀次は、世継ぎがいなかった秀吉から関白の職を譲られて家督を相続。
しかし、秀吉と淀殿との間に秀頼が生まれると、秀次は次第に追いやられて
最終的には高野山切腹させられます。

切腹後、秀次の首は三条河原でさらし首。当時のこの場所は鴨川の中州であり、この辺りが処刑が行われた場所になります。

処刑のあと、塚が築かれその上に秀次の首を収めた石櫃が載せられました。
塚はその後鴨川の氾濫などで荒廃します。
1611年に高瀬川の工事を手がけていた角倉了以が偶然墓石を見つけ、
秀次らの菩提を弔うために創建したのがここ瑞泉寺です。

 

 

 

 

 

 

こちらは東山七条の法住寺
後白河法皇ゆかりのお寺です。

この梅は上の方の一部がピンク色に咲く源平咲き分けです。

 

 

 

 

 

 

法住寺の裏では河津桜が満開でした。

 

 

 

 

 

 

まだ若い木なので、咲きっぷりが元気です。

 

 

 

 

 

 

こちらは泉涌寺別院 雲龍院で咲く河津桜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲龍院には山科随心院の「はねずの梅」と同じ種類の梅があります。
遅咲き品種の摩耶紅梅で、随心院の小野梅園と同じ時期に植えられたとのこと。
遅咲きの中の遅咲きなので、まだほとんどが蕾でした。

 

 

御所の黒木の梅とか瑞泉寺の紅梅とか 2024年 春 (完)
それではまた。。。