八坂界隈から知恩院さん三門とか 2023年 秋

 

 

Nikon Zfc をいろいろ触ってたら、
少し彩度を落したかんじの写真を撮りたくなったので
設定を作って試し撮りにいきました。

レンズ NIKKOR Z 26mm f/2.8 の絞りは、開放F2.8で固定です。

 

 

 

 

 

 

木屋町通りに沿って流れる高瀬川

 

 

 

 

 

 

松原橋

駒札には、元々この地に架かっていた橋が五条橋で、
秀吉が京の大仏殿造営にあたり現在の五条橋の地に架け替えたこと等が書かれています。
だから、牛若丸と弁慶が出会い、決闘した当時の「京の五条の橋の上」は、こちらになります。

 

 

 

 

 

鮒鶴。

 

 

 

 

 

 

鴨川河川敷では、今季終了した「納涼床」解体作業が行われてました。

 

 

 

 

 

 

六波羅

 

 

 

 

 

 

フウセンカズラ
ホオズキに似てますね。

 

 

 

 

 

 

八坂の塔

 

 

 

 

 

 

くくり猿。

 

 

 

 

 

 

八坂 高台寺塔頭・岡林院の山門脇にある触れ仏の三地蔵。
積極的に生きるご利益が得られるという「見る蔵・言う蔵・聞く蔵」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

岡林院の玄関。

現在残っている高台寺塔頭の中で最も古く、
数寄屋作りの方丈・茶室、苔庭があるそうです。

 

 

 

 

 

 

ミニ地蔵とミニ達磨。

 

 

 

 

 

 

円山公園内の料亭・未在さんの前。

 

 

 

 

 

円山公園で咲いてた萩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

円山公園北側にある「いもぼう平野屋本店 」。

 

 

 

 

 

 

円山公園を抜けて知恩院さん。

この三門(山門)は現存する日本最大級の門です。
最大「級」というのは、幅なのか高さなのか面積なのか、
計り方がいろいろあるからでしょうね。
楼上(二階)には、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇に十六羅漢像が安置されています。

 

 

 

 

 

 

ぶら下がってはらりとほどきたくなる。

 

 

 

 

 

 

三門から御影堂へ続くこの坂は男坂と呼ばれます。

旧勾配なので、この右側にはなだらかな女坂があって、
そちらからでも上れます。

 

 

 

 

 

 

知恩院は、浄土宗の宗祖 法然上人が平安時代末期、
比叡山を下りてこの地に草庵を結んだのが始まり。入寂の地でもあります。

しかし現在のような巨大な伽藍になったのは江戸時代になってからです。
浄土宗に帰依していた徳川家康は、知恩院を生母「伝通院」の菩提寺とします。
その時に、青蓮院の土地の一部を東九条村の土地と交換するなどして、現在の寺域まで広げます。
造営は二代将軍秀忠にも引き継がれました。

 

 

 

 

 

 

知恩院は黒谷の金戒光明寺と同じく幕府が要塞仕様にして、
朝廷を監視・威圧していたとの説もあります。

家康は、後陽成天皇の第8皇子「良純親王」を猶子(養子)にし、
知恩院の初代門跡に迎えています。
信仰とは別で、政治的な思惑からも浄土宗知恩院を取り込もうとしていたことが伺えます。

 

 

 

 

 

 

もう少し写真が続くので、また次回に。

 

 

八坂界隈から知恩院さん三門とか 2023年 秋 (完)
それではまた。。。