奈良 東大寺の大仏さんとか。 2023年 夏

 

 

奈良編の続きです。
興福寺のあと、大仏さんの東大寺へ向かいました。

参道はお祭りみたいに屋台が出てました。

 

 

 

 

 

 

向うに見えるのは南大門です。

 

 

 

 

 

南大門。

大仏様(だいぶつよう)と呼ばれる建築様式です。
京都で多く見られる禅宗様とは(ときょう)の形とか全然違う。

扁額の「大華厳寺」は、初代の南大門に「大華厳寺」という額が掲げられていたという古い記録があるとのことで、2006年(平成18)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて掲げられたものです。まだ新しいですね。

東大寺華厳宗大本山
重源上人は、東大寺大勧進職として源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした僧です。

 

 

 

 

 

 

東大寺南大門といえば、運慶・快慶らによる「金剛力士像」。
右に口を開けた阿形、左に口を閉じた吽形が配置されています。

平重衡による1180年(治承4年)南都焼き打ちのあとの
復興事業において造立されました。

 

 

 

 

 

 

山門の金剛力士像は京都の寺院でもよく見かけますが、
美術・芸術の目利きが皆無の私でも、確かにこれは他とは違う。
一体どうなってるのかと見入ってしまう。

 

 

 

 

 

 

南大門をくぐって中門へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

大仏さんの手のレプリカ。

右手は、施無畏印(せむいいん)と呼ばれる、
「恐れなくてもよい」と相手を励ますサイン。

左手は与願印(よがんいん)と呼ばれる、
「願いをかなえる」ことを表しています。

右手で私たちを励まし、左手で私たちの願いを受け止めておられます。

 

 

 

 

 

 

東大寺聖武天皇が全国の国分寺の中心として建立。
そして聖武天皇は743年(天平15年)に生きとし生けるすべてのものが栄えるようにと願い、盧舎那大仏造立の詔を発し、752年(天平勝宝4年)に大仏さまが開眼。

1180年(治承4年)の南都焼き打ち、
1567年(永禄10年)三好・松永の乱、と二度の兵火に遭い、
現在の建物は江戸時代に公慶上人によって再建されたものになります。

 



 

 

 

 

 

 

 

東大寺大仏殿は世界最大級の木造建造物。

しかし、京都・東本願寺御影堂も世界最大級の木造建造物と紹介されています。
どちらも「最大級」として「級」を入れているのがミソですね。
面積的には東本願寺、体積的には大仏殿みたいですが、お互いあいまいにしてるみたいな。
大人の対応ですよね。
これだと京都「八ッ橋」の、どちらの創業が古いかとかいう老舗争いみたいにはならない。





 

 

 


大仏は「華厳経」出てくる盧舎那仏という名の仏。
東大寺のご本尊です。


治承・永禄の戦火の他にも幾度も損傷を受け、その度に修補されてきました。
左大腿部褶襞の一部と台座の蓮弁部など、一部は天平時代の部分も残っています。
大部分は永禄の焼失のあと、江戸時代に入ってから修補したものとなります。

 

 

 

 

 

 

最後に大仏さんを見たのは、随分とむかし小学生の時です。
今回大仏さんを見て驚いたのは、「大仏さんが大きくない。」
あのでかかった大仏さんが...
自分の体が大きくなったからなのかと、しゃがんで見ても別に変わらない。
あと、何故か記憶にあった大仏さんは金色でした。

 

 

 

 

 

 

中門を出ます。

 

 

 

 

 

 

もう少し写真がるので、あと一回奈良編続けます。

 

 

奈良 東大寺の大仏さんとか。 2023年 夏 (完)
それではまた。。。