
京都御所、相国寺の北側にある御霊神社。
寺町丸太町を下がったところには下御霊神社があるので、こちらは上御霊神社とも呼ばれます。
上御霊神社も下御霊神社も、平安時代初期に神泉苑で行われた御霊会が創祀となります。
御霊神社は応仁の乱の発端「御霊合戦」があった地としても知られます。
室町幕府管領の畠山氏の跡目争いです。
東軍・畠山政長には細川勝元が、西軍・畠山義就には山名宗全がつきます。
細川・山名は、室町幕府八代将軍足利義政の後継者問題の権力争いもしていたので、
御霊合戦により戦争の火ぷたが切られることになります。
応仁の乱は11年間続き、京のほとんどが焼け野原となりました。

稲荷社の前で咲くイチハツ。
まだ少し早い時期だったので咲いてる花は少な目でした。

一初(イチハツ)はアヤメ科の中で早く咲く花です。
シャガの次くらいに咲く。


いま、開こうとしてるところ。

南側の外堀は開花が進んでいました。
むかしこの堀が湿地だった頃は、ここではカキツバタが咲いてたそうです。
堀が枯れたので似た花、イチハツが植えられました。
イチハツはアヤメと同じく乾いた土で生育します。

江戸時代の画家「尾形光琳」は晩年、この近くで過ごしていました。
その光琳の代表作のひとつが「燕子花図屏風」。
カキツバタがたくさん咲いてる絵です。(「燕子花」はカキツバタ、杜若)
平安時代の「伊勢物語」で在原業平が詠んだ一節をモチーフにして描かれています。
業平が見た三河の国、八橋のカキツバタの絵ですが、光琳は、当時ここに咲いてたカキツバタをモデルにして描いた...という説があります。
(大田神社のカキツバタとも)
下鴨神社もここから近いけど、
「紅白梅図屏風」のモデルは下鴨神社の「光琳の梅」ともいわれます。
御霊神社のイチハツ 2025年 春 (完)
それではまた。。。