
前回と同じ日で、今回もPENTAX K20D & FA31mmF1.8 Limited で撮った写真です。
京都御所、相国寺の北側にある御霊神社。
寺町丸太町を下がったところには下御霊神社があるので、
こちらは上御霊神社とも呼ばれます。
上御霊神社も下御霊神社も、
平安時代初期に神泉苑で行われた御霊会が創祀となります。
そしてその御霊会が祇園祭の起源となります。

御霊神社の南側の外堀に咲くイチハツ(一初)。
イチハツは、アヤメ科の中でも早く咲く花です。

境内摂社の稲荷社の前にもたくさん咲いてました。

以前はこの稲荷社の前にはイチハツはなかったように思うですが、
新たに植えられたのかな。

むかし外堀が湿地だった頃は、堀にはイチハツでなくてカキツバタが咲いていたそうです。
堀が枯れたので似た花、イチハツが植えられました。
イチハツはアヤメと同じく乾いた土で生育します。

江戸時代の画家「尾形光琳」は晩年、ここ御霊神社の近くで過ごしていました。
その光琳の代表作のひとつが「燕子花図屏風」。
カキツバタがたくさん咲いてる絵です。(「燕子花」はカキツバタ、杜若)
平安時代の「伊勢物語」で在原業平が詠んだ一節をモチーフにして描かれています。
在原業平が見た三河の国にある八橋のカキツバタの絵です。
光琳は、御霊神社に咲いてたカキツバタをモデルにして描いた...という説があります。
(大田神社のカキツバタとも)
同じく光琳の代表作「紅白梅図屏風」のモデルは下鴨神社の「光琳の梅」といわれますね。


御霊神社は応仁の乱の発端「御霊合戦」があった地としても知られます。
室町幕府管領の畠山氏の跡目争いです。
東軍・畠山政長には細川勝元が、西軍・畠山義就には山名宗全がつきます。
細川・山名は、室町幕府八代将軍足利義政の後継者問題の権力争いもしていたので、
御霊合戦により戦争の火ぷたが切られることになります。
応仁の乱は11年間続き、京のほとんどが焼け野原となりました。


本殿裏は新緑で緑に染まってました。

久しぶりに持ち出した一眼レフ機。
センサーサイズはNikon Zfcと同じAPS-Cなので画質的にはあまり変わりませんでした。
ただ、ファインダーで露出とか分からない 。あと、ピントがまず合わない。
だから1枚撮って画像表示して露出やピントを確認して、もう一枚撮って確認して、
と同じ写真を3回くらい撮ることになります。
ミラーレスのNikon Zfc だとファインダーですべて分かるので、
シャッター押したら画像確認すらしないことが多いです。ピントは先ず合うし。
あとは重量ですね。そう考えるともはや一眼レフ機を持ち出す理由は無いかと。
けど合理的な理由は無くても、撮ってる時のその不便さが面白いとも思えたりするので、またいつか持ち出すこともあるでしょう。
上御霊神社のイチハツ PENTAX K20D & FA31mmF1.8 Limited (完)
それではまた。。。