八重桜いろいろ 2022年 春

 

 

前回までの京北からの帰り道です。
京見峠を越えて帰ってきて、千本通り沿いにある上品蓮台寺で咲いてた八重桜。

 

 

 

 

 

 

こちらは千本通りをさらに下がって、千本ゑんま堂の普賢象桜。

ゑんま堂の開基は平安時代前期の高官、小野篁という説があります。
小野篁は、閻魔大王に仕えていて地獄へ通っていたという方。

 

 

 

 

 

 

現在の普賢象桜は、当代・佐野藤右衛門氏により寄進されました。
花の中央に二本の雌しべが突き出ていて、
普賢菩薩が乗る白象の牙に見えることが、普賢像桜の名の由来となっています。

まだ散りがほとんどない満開状態だから白っぽいですが、
このあとピンク色がどんどん濃くなってきます。
そして椿のように花ごとぽとぽと落ちます。

 

 

 

 

 

散りざまが囚人が首を切られるのに似ているというので、
江戸期には所司代が獄舎の囚人に見せて仏心を起こさせたと。

この地は化野・鳥辺野と並ぶ京の三大葬送地のひとつ「蓮台野」の入り口にあたり、
前に面してる千本通りは、刑場・葬送地の船岡山西麓への道に、千本の卒塔婆を建て供養した、というのがその名の由来となっています。
千本通りはあの世へ通じる道でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

室町時代後小松天皇足利義満金閣寺行幸に向かう途中にこの桜を発見し、
あまりの美しさに感動して義満に花見を勧めたと伝わります。

ゑんま堂を訪れた義満は、ここの桜に感服し、
桜の盛りを期して狂言を行うよう、寺に五十石の知行米を与えました。
これが京の三大念仏狂言のひとつ「千本ゑんま堂大念仏狂言」の始まりとされています。

京の三大念仏狂言の他のふたつは、
壬生寺の壬生大念仏狂言・嵯峨釈迦堂清凉寺の嵯峨大念仏狂言です。

 

 

 

 

 

 

こちらは堀川今出川東にある白峯神宮で咲く鬱金桜(黄桜)。

白峯神宮の創建は比較的新しく、
幕末動乱の中、孝明天皇崇徳上皇の霊を祀ろうとされますが、
叶わぬままに崩御されました。
そして父帝の御遺志を継いだ明治天皇が現在地に創建されました。

明治に創建される前のこの地は、遷都で東京に移った公家・飛鳥井家の邸宅地でした。
飛鳥井家が蹴鞠の宗家であっため、サッカーや球技全般の守護神とされています。

 

 

 

 

 

 

白峯神宮には左近の桜というのもあります。

これは、この日の二週間前に撮って載せずじまいになってた左近の桜。
御所や平安神宮の左近の桜とほぼ同じ時期に満開になります。



 

 

 

鬱金桜は本殿向かって左にあるから
右近のウコンになりますね。

 

 

 

 

 

 

こういう色の桜も新鮮です。
あと、こういう系統だと御衣黄もありますよね。
今年は御衣黄を見ずじまいでした。

 

 

 

 

 

 

最後は高瀬川 一之船入で咲く八重桜。

ソメイヨシノが咲いてる時も載せてますが、
最後に八重桜も咲きます。

 

 

 

 

 

 

毎日更新ぶっ通しできましたが、
これが今年の桜の見納めです。

少し休んでから、またぼちぼち更新しようと思います。

 

 

八重桜いろいろ 2022年 春 (完)
それではまた。。。