神護寺のあと、同じ高雄にある栂尾山 高山寺へ行きました。
表参道から。
高山寺は真言宗の単立寺院。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
向うに見える建物は国宝の石水院です。
この地には奈良時代774年に光仁天皇の勅願によって
建てられた寺があったとされます。
現在の高山寺の前身です。
前回も書きましたが、平安時代初期に神護寺に空海が入り
高雄は平安仏教の発信地として栄えます。
その頃、ここは神護寺の別院となっています。
平安時代末頃になるとその神護寺も荒廃します。
鎌倉時代に入り、1206年に華厳宗の高僧 明恵(みょうえ)が、
後鳥羽上皇からこの地を与えられ、現在の高山寺としました。
明恵上人が高山寺の開山です。
明恵は神護寺を再興した文覚の弟子です。
明恵上人はこの山を「楞迦山(りょうがせん)」と名付けます。
「楞迦山」は、釈尊が説法を行うために
三回訪れたという故事がある山の名です。
明恵上人が楞迦山と名付けた山なんですけど、
以前のこの辺りは深山幽谷な雰囲気がありました。
しかし2019年9月の台風21号の被害により様相が随分と変わりました。
樹齢100~300年のスギ、ヒノキの大木が300本以上倒れたといいます。
復旧工事は2021年3月までかかりました。
でも倒れた木々は元には戻らないですよね。
2016年新緑の頃に撮った写真はこちらです→ クリック
金堂。
釈迦如来像を安置します。
現在の建物は、もとは「御室 仁和寺」にあった御堂です。
江戸時代初期、寛永年間に移築されています。
金堂も台風により倒木を受け半壊したそうですが、
このように復旧しています。
金堂の周りも台風以前はこのように木々に囲まれてましたから→ クリック
以前、幽玄な山の中だったのが、こんな見晴らしよくなってます。
工事してる時に前を通ったことがありますが、
ショベルカーとか入ってるのを見た時は少しショックでした。
小さな屋根は仏足石があるところです。
あの覆屋も倒壊して新しくなってます。
こちらは明恵上人坐像が祀られている開山堂。
雪をかぶってるので見えませんが、
こちらも台風被害に遭って屋根の葺き替えが行われてます。
明恵上人は、9歳で神護寺に入り文覚の下で出家、
その後は東大寺で華厳、建仁寺では禅も学びます。
東大寺で学頭にもなった華厳宗の高僧。
高山寺は、華厳宗興隆の根本道場と定め建立しています。
真言宗所轄の寺院となったのは明治5年からです。
戒律を厳格に守り、若き日には自らの右耳を切り落とすなど、
仏の道を究めるために厳しい修行を重ねた明恵上人。
専修念仏の法然上人については厳しく批判しています。
相容れない思想ですよね。
生年でみると、法然上人1133年生れ・明恵上人1173年生れ。
法然上人が流罪となる承元の法難が1207年ですから
その時で法然上人74歳、明恵上人は34歳か。
ちなみに親鸞聖人は明恵上人と同い年で1173年生れです。
ただ、生前の親鸞聖人はほとんどその名は知られていません。
日本最古の茶園。
明恵上人は、建仁寺で臨済宗開祖の栄西禅師から禅を学んでいます。
栄西禅師は、宋に渡った時に「茶の種」を持ち帰った茶祖。
明恵上人がその「茶の種」をいただいて、植えたのがここ「日本最古の茶園」。
そしてその茶が育つと宇治にも植えました。
それが「宇治茶」のルーツになっています。
室町時代中期になって宇治茶が最高位の茶と認められるまでは、
栂尾の茶が一番とされており、栂尾の茶を「本茶」、
それ以外は「非茶」と呼ばれていたとのこと。
こんなに離れた所からでも金堂が見えるようになりました。
下ってきて、左に石水院があります。
せっかくの雪の日ですから入ってます。
高雄 高山寺 雪 2022年 冬 (完)
それではまた。。。