神護寺参道の石段を上っていきます。
途中にあるお茶屋さんの雪景色。
山門前まで来ました。
ちなみに、神護寺参道の石段は400段といわれてます。
そんなにあるかな? 数えたことないけど。
山門(楼門)は残念ながら改修工事中で
足場やシートがかかってるので、この辺から撮ります。
拝観受付を済ませて中へ入ります。
神護寺の前身は「高雄山寺」。
奈良時代末期に和気清麻呂が、
愛宕山を中心に「愛宕五坊」という修業道場を五つ建てます。
そのひとつが「高雄山寺」。
和気清麻呂は、京への遷都を桓武天皇に進言し、
その造営の中心となった官僚貴族です。
(京を見渡せる将軍塚へ桓武天皇をお誘いし、進言したという)
和気清麻呂が亡くなった後、高雄山寺は和気家の菩提寺になります。
これが後に「神護寺」となります。
こちらは明王堂。
奥の高い所にあるのは鐘楼です。
清麻呂の死後、その子息は高雄山寺に「最澄」を招き、
法華経の講演を依頼します。
最澄はのちの天台宗の開祖。
当時比叡山にこもって修行を続けていました。
清麻呂の子息は新しい仏教を模索しいて、
最澄に求道者としての期待を寄せていたのです。
五大堂、毘沙門堂と並びます。
天台宗と真言宗が交流し、
奈良仏教から平安仏教への礎が高雄山寺で築かれます。
当時、高雄が平安仏教の発信地でした。
(最澄と空海はのちに決別します)
金堂への石段前。
比叡山に戻った最澄に対し、
空海は高雄山に留まり、平安仏教の道場として発展させます。
比叡山・最澄への対抗意識があったのだとも。
もとは和気家の菩提寺という私的なお寺であった高尾山寺。
空海によって鎮護国家の道場という、政治的にも重要な地位を築きます。
この頃、名を「神護寺」と改名しています。
神護寺所蔵の寺宝に「灌頂歴名」があります。(国宝・京都国立博物館寄託)
空海が神護寺(高雄山寺)で「灌頂」を行った人物名を
自ら書き記した記録です。
その名簿の筆頭に最澄の名前があります。
真言密教においては空海が最澄の師となります。
また、最澄とともに灌頂を受けた最澄の弟子「泰範」の名前も記載されています。
泰範はその後比叡山に戻らず、高雄山寺に留まり空海の弟子となります。
最澄は泰範に何度も比叡山へ戻るよう促すのですが、
空海に心酔した泰範は戻ることなく、
最終的には空海の十大弟子のひとりに数えられるほどにまでになりました。
泰範という弟子の取り合いが、
空海と最澄の決別のきっかけであるともいわれています。
御本尊は薬師如来(国宝)。
現在の金堂は比較的新しく、昭和10年の建立です。
日清・日露戦争中に洋反物の輸出などで財をなし、
引退後は資産の多くを寄付に使った実業家 山口玄洞居士による寄進です。
神護寺の歴史において、もう一人重要な登場人物がいます。
平安時代末期の僧「文覚(もんがく)」。
かつて平安仏教の発信地であった神護寺。
しかし、火災などもあり、
平安時代の末頃には衰退し、見るも無残な状態に。
これを復興したのが文覚上人。神護寺の「中興の祖」とされます。
(高山寺の明恵は、文覚の弟子にあたります)
文覚という人は、
一般に私たちがイメージする「僧」とは少し違うようです。
文覚は武士の出身。「北面の武士」です。
皇室の身辺警衛として仕えていました。
しかし、同僚の妻と不倫。
同僚を殺すつもりが、間違って妻を殺害。
それがきっかけで出家。十九歳の時でした。
その後、平家物語で書かれている
「那智に千日籠り、大峯三度、葛城二度、高野...信濃の戸隱」
日本全国荒行巡りです。
文覚三十歳の頃、衰退した神護寺を訪れ再興を決意。
後白河法皇に対し、資金源として荘園の寄進など強要。
あの法皇に対し強要です。
これが法皇の逆鱗にふれ、伊豆へ島流し。
伊豆で、同じく島流しなっていた挙兵前の「源頼朝」と仲良くなる。
文覚は頼朝に挙兵を迫り、頼朝は文覚に神護寺の復興を約束します。
のち、平家滅亡・鎌倉幕府誕生。
頼朝の援助を受け神護寺の復興は進みました。
神護寺で源頼朝といえば、神護寺所蔵の「伝源頼朝像」。
教科書に載ってた源頼朝の肖像画です。
しかし現在ではあの人物は別人であるとして今の教科書には載ってないんですね。
足利直義という説もありますが、
神護寺は現在も源頼朝の肖像画であると強く主張しています。
あと、今の教科書は鎌倉幕府成立も1192年(いいくに)から1185年(いいはこ)に
変更されてるとか。
文覚上人は今度始まった大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場しますね。
「頼朝にあやしく迫る謎の僧」という設定で、
市川猿之助さんが演じるとのこと。
文覚のように同じく北面の武士から出家した僧に「西行」がいます。
西行は放浪の歌人として生きますが、
文覚は、最後まで政治の舞台に首を突っ込み、
佐渡や対馬へも島流しされています。
そして対馬へ流される途中で亡くなっています。
対照的な二人です。
神護寺山内には厄除けの「かわらけ投げ」ができる場所があります。
何年か前に一度行ったことがあるのですが、
それからは神護寺へ来てもそこまで足を進めることがなかったので、
すっかり忘れてました。
帰ってから気づきました。
せっかく雪景色の錦雲渓が見れたのに。。。
高雄 神護寺 雪 2022年 冬 (完)
それではまた。。。