七条仏所跡 山茶花の生垣 2021年 晩秋

 

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七条河原町の少し西入ったところにある「七条仏所跡」。
立派な山茶花の生垣が花を咲かせてました。

 

 

 

 

 

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七条仏所は、平安時代中期に活躍した仏像彫刻家「定朝」をはじめ、
その一族・子弟・子孫がながく居住して彫刻にはげんだ「仏所」のあったところ。

定朝は平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像を制作した仏師です。

 

 

 

 

 

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鎌倉時代に入ると、ここにあった仏所から運慶・湛慶・快慶らが相ついであらわれ、
剛健な、また写実的な多くの名作を世に送る。

しかし、室町時代に入って彫刻は全体としてふるわず、
仏所は21代康正のとき四条烏丸に移転。
その後、幕末の兵乱に火災にあい仏所の遺構は完全に失われた。とのこと。


今はなんの面影もなく、民家があります。

 

 

 

 

 

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現在のこちらの民家(田中家)は明治後期の建築。

 

京町家の佇まいを現在も良好に保持し、
通り景観の形成に欠かせない重要な建物として
京都市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されています。


 

 

 

 

 

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満開。

 

 

 

 

 

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このあと七条通りをそのまま東へ進み、智積院へいきました。

 

 

 

 

 

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紅葉はすでに終了してました。

 

 

 

 

 

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残ったモミジのプロペラ。

 

この近くに遅く紅葉するところがあるので
そちらへ向かいます。

 

 

 

七条仏所跡  山茶花の生垣 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。