洛西・小塩山の中腹にある金蔵寺。
もとは、奈良時代718年に元正天皇の勅願によって、
隆豊禅師が開創したと伝わります。
現在は天台宗の寺院です。
ちなみに、元正天皇は女帝です。
そのお母さんが、奈良へ平城京遷都を行った元明天皇。
女帝が二代続きますが、元正天皇の父親は草壁皇子ですから男系となります。
日本史上、女性天皇同士の皇位継承はこの一度だけです。
桓武天皇は平安京遷都の際に王城鎮護のために
都の四方の岩倉(磐座)に一切経を埋めています。
西の岩倉がこの金蔵寺で、山号「西岩倉山」の由来となっています。
「磐座」は、神社に社殿が設けられる以前の古代信仰。自然崇拝です。
それが巨石であったり、山であったり。
神が降臨する依り代として信仰していました。
四岩倉の他の場所は
北は、今も地名が残る左京区岩倉の山住神社。
現在も本殿がなく岩を祀っています。
東は粟田口にあった観勝寺。消失して今はありません。
南は河原町松原少し西にある明王院不動寺という説。
すごく小さなお寺になってますが現在もあります。
南岩倉は八幡の男山という説もあります。
今もこの近くに経典が埋まってて、
京都を守ってくれているのでしょうか。
本堂への階段。
御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。
本堂のさらに奥には愛宕大権現も祀られています。
愛宕山の愛宕神社は明治以前は愛宕大権現を祀る「白雲寺」というお寺でした。
明治の神仏分離により白雲寺は廃寺となって、現在の愛宕神社となっています。
その際に愛宕山の愛宕大権現をこちらへ遷座しています。
現在の愛宕神社の主祭神はイザナミです。
ややこしいですね。
だから明智光秀が本能寺の変の前に祈願した
愛宕大権現(勝軍地蔵)は今はこちらにおられるということですね。
護摩堂前の紅葉。
登山口という札が見えますが、
小塩山がそのまま境内になっているので、
境内が登山道みたいなかんじです。
金蔵寺の建物は、応仁の乱など相次ぐ戦火によって焼失しますが、
善峯寺と同じく将軍綱吉の母・桂昌院によって再建されています。
山内には「桂昌院廟」もあります。
手水舎に、
干し柿が吊るしてありました。
これもこれからの時期たまに見かけますが
カラスウリの実ですね。
火鉢で暖をとれるお心遣いがありがたい。
よく冷えた日でした。
赤い石段や、
黄色い石段。
紅い絨毯も。
鮮やかな紅葉もありました。
山内にある見晴らしの良い所。
昨日載せた、来る途中に少し見えたのは雲海のようになってましたが、
ここに来た頃にはすでに霧が晴れかかってました。
では帰ります。
金蔵寺 紅葉 2021年 秋 (完)
それではまた。。。