三栖神社の大銀杏の落葉 2021年 冬

 

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伏見にある三栖神社(みすじんじゃ)。

伏見といっても酒蔵とかある方ではなくて、
新堀川通りと外環状線という幹線道路の交差点そばという
殺風景なロケーションです。

 

 

 

 

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大きなイチョウの木と
黄色のカーペット。

ここは色付くのも落葉するのも一番最後です。

 

 

 

 

 

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いつも師走のバタバタしてる時にこれ見て
年の瀬を感じます。

 

 

 

 

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三栖神社の御祭神は天武天皇

大海人皇子(天武天皇)と大友皇子皇位継承をめぐり争った「壬申の乱」の時に
大海人皇子はこの三栖の地を通過されました。
その時に村人が炬火をともし暗夜を照らして歓迎したと伝わります。

それが由来で三栖神社では10月に大炬火に火を灯し、
巡行する炬火祭が行われます。

 

 

 

 

 

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猫が何匹か住み着いています。

 

 

 

 

 

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年末で仕事が忙しくて、このあとずっと休み無しだったので
これで写真が尽きました。
まだ大晦日まで仕事ですが年内に終えることができるのか
少々パニック状態です。

年明けしばらく更新は休む予定です。
運動不足解消で自転車ヒルクライムへ行ったら
また時々アップします。冬枯れの寂しい景色でしょうけど。

 

 

 

 

 

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今年最後はビートルズで。
The Beatles - A Day In The Life


少し早いですが、
良いお年を!

 

 

 

三栖神社の大銀杏の落葉 2021年 冬 (完)
それではまた。。。

 

 

 

 

養源院 紅葉 2021年 晩秋

 

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三十三間堂の通りを挟んで東側にある養源院。
ここの紅葉はいつも遅いです。

 

 

 

 

 

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養源院は、豊臣秀吉の側室・淀君(茶々)が
浅井長政の供養のため秀吉に願い1594年に創建。
浅井長政織田信長方の秀吉に攻められ亡くなったのですが。)

 

 

 

 

 

 

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その後1619年、火災により焼失。
淀君の妹の江(崇源院)が1621年に再建します。

江は、徳川家康の息子「秀忠」の正室
再建時は、徳川が豊臣家を滅ぼした後です。(淀君は自害)
以後、徳川家の菩提所となります。

複雑な時代です。。。

 

 

 

 

 

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弁天社の向かいの散り紅葉。

 

 

 

 

 

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参道は逆から見た方が色づきが良かったです。

 

 

 

 

 

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今年見た最後の紅葉。

このあと仕事に向かったのですが、
最後に毎年見てる黄色いところへ寄りました。

 

 

 

養源院 紅葉 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。

 

 

 

 

七条仏所跡 山茶花の生垣 2021年 晩秋

 

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七条河原町の少し西入ったところにある「七条仏所跡」。
立派な山茶花の生垣が花を咲かせてました。

 

 

 

 

 

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七条仏所は、平安時代中期に活躍した仏像彫刻家「定朝」をはじめ、
その一族・子弟・子孫がながく居住して彫刻にはげんだ「仏所」のあったところ。

定朝は平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像を制作した仏師です。

 

 

 

 

 

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鎌倉時代に入ると、ここにあった仏所から運慶・湛慶・快慶らが相ついであらわれ、
剛健な、また写実的な多くの名作を世に送る。

しかし、室町時代に入って彫刻は全体としてふるわず、
仏所は21代康正のとき四条烏丸に移転。
その後、幕末の兵乱に火災にあい仏所の遺構は完全に失われた。とのこと。


今はなんの面影もなく、民家があります。

 

 

 

 

 

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現在のこちらの民家(田中家)は明治後期の建築。

 

京町家の佇まいを現在も良好に保持し、
通り景観の形成に欠かせない重要な建物として
京都市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されています。


 

 

 

 

 

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満開。

 

 

 

 

 

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このあと七条通りをそのまま東へ進み、智積院へいきました。

 

 

 

 

 

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紅葉はすでに終了してました。

 

 

 

 

 

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残ったモミジのプロペラ。

 

この近くに遅く紅葉するところがあるので
そちらへ向かいます。

 

 

 

七条仏所跡  山茶花の生垣 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。

 

 

 

 

 

 

 

西本願寺の大銀杏 2021年 晩秋

 

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ほぼ散り終えた西本願寺の「逆さ銀杏」。

この日は日曜日だけど、年末で忙しくなってきたので仕事でした。
宇治まで自転車通勤にして少し寄り道しながら行きました。

 

 

 

 

 

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空に向かって根を張っているようにも見えることから、
「逆さ銀杏」と呼ばれます。

また、1788年の天明の大火の際に、
水を吹いて御影堂を守ったことから「水吹き銀杏」とも。

イチョウの木は水分を多く含んでいて火に強い性質があり、
火除けの木とされています。

 

 

 

 

 

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あちらは阿弥陀堂の向かいにある大銀杏。

 

 

 

 

 

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2017年の台風21号により上の方がバッサリと折れて、
寂しい姿になりました。
素晴らしい木だったんですけどね。

 

 

 

 

 

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折れてから数年経ちますが
あまり大きさは変わってないような。
もう成長することはないのだろうか。

 

 

西本願寺の大銀杏 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。

 

 

 

 

栄摂院~真如堂 紅葉 2021年 晩秋

 

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鹿ケ谷のあと南禅寺へ寄ったのですが、
あまりいい紅葉は残ってなかったので、
この日の最後は真如堂へ向かうことにしました。

写真は途中に寄った黒谷さんの塔頭の栄摂院の紅葉。

 

 

 

 

 

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高い所に阿弥陀さまがおられます。

 

 

 

 

 

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真正極楽寺真如堂)に到着。

 

 

 

 

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正面の参道のところは終わりかけ。

 

 

 

 

 

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右側の細い参道のところの紅葉がきれいでした。

 

 

 

 

 

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紅葉のトンネルみたいになってます。

 

 

 

 

 

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本堂の裏手へ。

 

 

 

 

 

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散り紅葉がいいかんじ。

 

 

 

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こちらは紫陽花苑のところです。

 

 

 

 

 

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真如堂は紫陽花の時期もおすすめです。

 

 

 

 

 

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茶所前の紅葉も一本残ってました。



 

 

 

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アデルの新しい曲
Adele - ♪ Easy On Me

 

 

 

 

栄摂院~真如堂 紅葉 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。

 

 

 

 

 

法然院 紅葉 2021年 晩秋

 

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安楽寺のあと、すぐ近くにある「法然院」へ。

 

 

 

 

 

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この参道も以前は木々に覆われて日中も薄暗く趣があったのですが、
台風による倒木で随分と明るくなりました。

 

 

 

 

 

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「承元の法難」により斬首された安楽と住蓮。
この地は、もとは法然上人が弟子の安楽・住蓮とともに
念仏三昧行を修した草庵があった場所です。
昼夜六時に分けて念仏を唱える「六時礼讃行」を勤めていました。

 

 

 

 

 

 

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1680年江戸時代になってから、知恩院第三十八世「萬無(ばんぶ)和尚」が、
法然上人ゆかりのこの地に念佛道場を建立することを発願。
そして、弟子の「忍澂(にんちょう)和尚」によって、現在の伽藍の基礎が築かれます。

 

 

 

 

 

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山門をくぐって。

左右の白砂は「白砂壇」。
この砂壇の間を通ることで、心身を清めて浄域に入ります。

白砂壇上の模様は、時期によって変更されます。
今はモミジが描かれています。

 

 

 

 

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逆側から。

 

 

 

 

 

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おもてなし。

 

 

 

 

 

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法然院 紅葉 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。

 

 

 

 

安楽寺とか 紅葉 2021年 晩秋

 

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下鴨神社を出て、御蔭橋たもとの大きなイチョウの木。
隣りは下鴨茶寮です。

 

 

 

 

 

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出町柳の長楽寺横の駐輪場でこんな山茶花が咲いてました。

 

 

 

 

 

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獅子咲きというのでしょうか。
侘び寂び寒椿のイメージとは真逆でど派手です。

 

 

 

 

 

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東へ進んできて哲学の道です。

 

 

 

 

 

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哲学の道のさらに東側に入って、
鹿ケ谷の「住蓮山 安楽寺」。


鎌倉時代初め「承元の法難」により斬首された
「安楽」と「住蓮」の弔いに、師である法然上人が建てたお寺です。

 

 

 

 

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もとはこの地に安楽・住蓮の「鹿ヶ谷草庵」がありました。
後鳥羽上皇の寵愛を受けていた女官「松虫」「鈴虫」は
上皇に黙って安楽・住蓮の導きにより剃髪出家します。

安楽・住蓮の斬首は、その上皇の怒りを買ったのが原因です。
念仏弾圧の嵐が吹いていた頃です。

安楽と住蓮は、ともに美声の持ち主で、
その唱導を聞くと女性たちはたちまち感化され入門していったとも。

 

この一件で法然上人も讃岐へ流罪となりました。
(当時法然上人の門下であった親鸞も越後へ流罪となっています)

 

 

 

 

 

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そんな忌まわしい過去は微塵も感じさせない美しさ。

 



安楽寺とか 紅葉 2021年 晩秋 (完)
それではまた。。。